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張謇の墓地

    

    2001年に国務院に全国重点文物保護機構と授与され、啬園の最も重要な観光地である。

張謇は1926824日に濠南別業にて病死し、享年73歳、同年111日にここへ安置されたが、文化大革命中にお墓は破壊され、銅像も焼却された。1983年、南通市政府は元の場所で張謇父子のお墓を建て直し、四周に石彫刻の手すりを築き、外側には高いヒノキを植えた。今見られる銅像は1985年に立て直したもので、高さは1.98メートル。張謇がここを墓地にした理由は、彼のお墓は剣山に真っ向し、剣山の頂上の文殊院がまるで供える大香炉のようで、軍山の気象台と狼山の支雲塔が一対の蝋燭みたいに雲へ挿し込み、御香と蝋燭が絶えないことを意味するのである。張謇の副葬品は非常に簡単で、晩年に使用した杖、メガネ、裂け目だらけの茶碗、産毛の玉だけだった。